製作側の企画意図
【種別】批判
140 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/10/09(日) 00:45:49.75 ID:rwiqph2k0
ニュータイプで大川と水島の対談があった
・小夜の鼻歌は長いけど、それだけ長く歌ってるのに途中で誰ともすれ違わない不自然さを出している
・モブがいないってこんなに気持ち悪いんだ、と思いました>大川
・キャラも日常話も退屈なものにすることで、視聴者に早く話が進まないかな、誰か死なないかな、と思わせたかった
そうすることで少しずつ、その退屈な日常が崩れていくズレを感じてほしかった
・キャラや世界を感情移入できないものにすることで、それを守る!と言っている小夜のおかしさ・薄っぺらさを感じてほしかった
狙い通りのコースから寸分たりとも狂わない、すごいコントロールで12球も剛速球が投げられて本当に良かったですね。さぞかし満足されたことと思います。
…でもね。そのボール、12球全部が思いっきり打者後頭部へのデッドボールなんですが…。
そもそもどうしてまず「試合を組み立てない」という前提で企画が始まってるのでしょう?なぜ誰も駄目出ししなかったんでしょうか?
映画の前宣がTV版なのでしょうが、TV版が果たした役割は全く逆で、映画はマイナス評価からの出発になるように思います。12球もデッドボールを投げたら、野球なら1回表で0対9かつノーアウト満塁です。そのまま別の監督に試合を引き渡すのは、渡されたほうがかわいそう過ぎやしませんか?
「退屈で感情移入できない物語をあえて作ってみました。終盤ほんのちょっとどんでん返しがあります。どうですか?」と言われても、「わざと大部分がまずいラーメン作ってみました。最後のほうは味が変わってちょっとだけ美味しくなりますけど、どうですか?」とでも言われてるようで、視聴者にとってはあんまりピンとこないです。
そりゃあ普通の客は一口か二口食ったら箸置いて帰るでしょうよ。「こんな店、二度と来ねぇよ!」と思いながら…。
映画は先にお金を払うので、観客はよほどひどいものでも元を取るため最後まで我慢して観ます。でもTVはそうじゃないんです。1話切りや2話切りした人も多かったんです。
「I.G」「CLAMP」という有名な二枚看板に泥を塗ってまでわざわざまずいラーメンを作りたかった動機が、真剣にわかりません。
ただ、なんとなくこれ「見切り発車したけど、脚本がギリギリまで上がってこなかったので、最終話まで見据えた展開・演出・ペース配分が出来なかった。でも本当のことは言えないので、ネット等で出ていた好意的な意見をとりあえあずかき集めて後付けの言い訳をでっち上げてみた」だけの気がします。
なぜなら上記対談の通りの企画を本当に製作前に提出してたとしたら、社長、プロデューサー、スポンサーが束になって全力で止めにかかるでしょう?「大川さん。どうもお疲れのようですので半年かそこら、空気の良いところでゆっくり静養されたほうが…」とか言いながら…。
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